まごころケア旭川
旭川センタートピックス
武田明子
五月二五日、土曜日、旭川センターの理事会・総会を開催しました。前日までのポカポカ陽気から一転、どんよりした曇り空で、事務所ではストーブに点火して皆様をお迎えしました。理事会ではBCPの検討も加わり、予定時刻ぎりぎりまで会話が弾みました。ミスプリントの訂正も皆様フフフと笑ってくださり、担当者は大汗をかきながらも無事終了しました。介護報酬の引き下げ、ヘルパー不足など問題は山積みですが、少しずつ乗り越えていきたいものです。
五月二九日、水曜日は感染症のBCPと、その関連で「汚物等処理手を研修委員が実演し、皆さんに見てもらいました。以前も同様の研修を行ったことがあるのですが、それはコロナ前だったので今回は防護服着脱など新しい要素も加わりました。防護服などの装着、消毒液の作り方、嘔吐物に見立てた豆腐をウイルス飛散を防ぎながらの処理、終了後の手袋・キャップ・シューズカバー・防護服の脱ぎ方、後始末まで、実演者・補助者・解説者と役割分担をして行いました。研修委員はこの日のために事前練習をして臨み、当日まで、こうした方がわかりやすいのではないか、用意する物品はこれでよいかなど様々アイディアを出し合っていました。必死の研修委員の実演に見ている側も真剣です。これから一年、毎月どんな研修が繰り広げられるか楽しみにしています。ちなみに六月は調理実習。皆張り切っているところです。
まごころケア塩釜
母子石(ははこいし)の伝説
志摩弘子
まごころ塩釜のすぐ隣に母子沢という地名がありますが、塩釜には、「母子石」という伝説が残っています。この伝説を知ると、もしかして塩釜は東北で最も歴史の長い都市かと思えてくるのです。さあ!この伝説を通して塩釜の歴史を訪ねてみましょう。
今から千三百年前、塩釜の南町のあたりには国府津(こうづ)という西の方から攻めてきた大和朝廷の港がありました。そして、新しくりっばなお城をつくるために多賀城の市川まで東海道(あずまかいどう)という広くてまっすぐな道がつくられました。道はなだらかな坂道でまわり一面白菊(浜菊)が咲いていました。
ある日、りっぱなお役人が船からおり立ちました。お城をつくるために都からやって来たのです。城づくりがはじまりましたがお役人が思っていたより長い年月がかかりました。お役人は都がなつかしくてしかたがありませんでした。そして寂しさをまぎらわすため、お嫁さんをもらうことにしました。そこでお役人はよい娘はいないかとあちこちさがしました。石堂に立派な豪族が住んでおり美しい娘がいると聞きました。さっそく申し入れしましたが娘は大好きな両親と別れるのがつらく断りの手紙を出しました。お役人は悲しみと同時に大変怒りました。そのうちお城の工事もはかどり、もはや完成という時になって、誰ということなく「こんな立派なお城だから人柱を立てて永久の守りにしなければならない」ということになりました。「このあたりで立派な人ということになれば石堂に住むあの人しかいない」というみんなの意見でとうとう娘の父が人柱に立つことになりました。娘は、こんなことになったのも自分がお役人のところに嫁に行くのを断ったためだろうと思い、「私はどんなことでも我慢するからお嫁にやって下さい」と涙ながらに願いました。しかし、父は「お前がお役人のところに嫁に行けば私は助かるかもしれないが、誰かが人柱に立たなければならない。私の代わりに迷惑する人が出るのだからそんなことは出来ない」と、ついに人柱に立つことになりました。
母と娘のなげきようは言葉では言い表せないほどでした。父が人柱に立つ時刻になると母と娘はお城のあ西の方角を向いて両手を合わせ一心に祈って泣き悲しんでいました。哀れなことに母と娘の二人は悲しみのあまりいつのまにか冷たくなって死んでいました。いつしかこのあたりは母子沢とよばれるようになりました。そして、白菊が咲き乱れていた野原は今はすっかり住宅地に姿を変えています。しかし、古道の道ばたには、母子の立っていた石がひっそりと残されており、そこには二人の足型を見ることができます。終わりに、塩釜には不思議で意外歴史があふれています。機会がありましたら紹介してみたいと思います。
まごころケア屋島やすらぎ
ヘルパーセラピー
介護福祉士・介護支援専門員 小野みどり
目覚まし時計が鳴っても、朝が弱い私は、なかなか布団から出られない。そんな時は、その日会う予定になっている利用者さんを思い浮かべる。すると、がぜんやる気が湧いてくる。
昨年の夏、新型コロナに感染した。陰性になっても喉の痛みが残ったので、重度訪問介護で痰の吸引が必要なAさんのケアは、3週間休むことになった。慢性的な人手不足の現場だが、Aさんは感染したら命取りになる恐れがあるから、慎重にならざるを得ない。やっと復帰し、部屋に入った私の姿を認めたAさんの瞳に光るものが浮かんだ。待っていてくれたのがわかった。
最近、ヘルパーセラピーという言葉を知った。
アメリカの社会学者リースマンが提唱した精神療法で、「人助けをすることによって、助ける側が何かを受け取っている」と考える。ヘルパーというのは、ヘルプする人、つまり助ける人という意味だ。例えば依存症の自助グループでは、参加者が他の参加者を支援することで、支援した側が他者の役に立てているという自己肯定感を得て、自分の存在意義を再確認する。日本のことわざなら、情けは人の為ならず、といったところだろう。
介護の現場で働く人といった狭い範囲を指すのではないヘルパーセラピーだが、私は訪問介護のヘルパーをして15年になる。利用者さんと直に接する仕事だ。辛そうな表情を目にすると何とかしたいと思い、笑顔を浮かべるとこちらも嬉しくなる。Aさんの仕事を終えて玄関を出る時、門扉を締めながら、無事に仕事を終えることができた充実感に満たされる。
くしくも、ヘルパー仲間のBさんは言う。「ヘルパーの仕事で行く所があるから、自分はうつ病にならなくてすんでいる」と。
良い職業に就いたものだ。
まごころケア西春日
将来なりたい職業は?
笠井圭介
皆様は子どもの頃、将来どんな仕事に就きたいと思っていましたか?最近の調査では、小学生の場合、男の子はスポーツ選手やユーチューバー、女の子はパティシエ、教員、保育士等です。これが高校生になる男女とも公務員や会社員が上位になり、それに続いて男子生徒はITプログラマー、女子生徒は看護師となり、子どもも成長するにしたがっ現実的な選択をするようになるということが分かります。
ここで筆者がいつも思うことは、将来就きたい職業の中で介護士が一度も入ったことがありません(もし見間違いでしたら失礼します)。逆に親が子どもに就いてほしくない職業では、ユーチューバーや芸能人、自衛官、政治家に続いて介護士が入っています。ユーチューバーや芸能人は安定性がなく、自衛官は命の危険にさらされる、政治家は何かあれば、世間からたたかれるという理
由からだと思いますが、介護士はこれからも増え続ける高齢者のお世話をする仕事なのにネガティブに見られているということなのかと思います。実際香川県内にある有名な短期大学も2年ほど前に介護学科の募集を停止しました。応募者が集まらないという理由のようです。
私たちが関わっている介護の仕事は社会にとって欠かせない、またやりがいのある魅力的な仕事だと思っています。そのことをもっとアピールして、将来子どもたちがあこがれるような職業にしていく必要があると思います。どういう方法があるか、筆者の頭では具体的にはイメージしづらいですが、良い方法があれば教えていただければ幸いです。
